2007年5月には、05年日本に招待して個展を開催したアメリカのアーティスト Shelley Thorstensen さんから Galerie RECOLTE のアーティストを版画工房 Frans Masereel Centrum(ベルギー)にご招待いただき、そだきよし・平岡昌也の2名が滞在しました。
2007年夏には アメリカ・ニュージャージーの Shelley Thorstensen さんのご自宅・アトリエにホームステイしながら、そだきよし・平岡昌也・本田誠・うのもとかずあきの4名のアーティストがそれぞれ1ヶ月制作/活動しました。
きよしのベルギー版画工房遠征 そだきよし
今回の遠征では、様々な感性を見事に揺さぶられ、とても多くの事を経験させていただきました。
その中で、そだきよしの作品はこれからどう変わっていくのか?これからの可能性に自分自身、素直に驚いたし、良い意味でも悪い意味でも、正面から作品と向かい合う事が出来ました。
ベルギーの版画工房では、Shelleyの制作を手伝いながら、僕は作品のアイデア等を常に考えていたのですが、他に、十数名の作家がそれぞれのプレス機を使って黙々と制作をし、工房閉館後は各部屋で制作していました。みんな作品を真剣に作る為に来ているので、自己紹介くらいはするものの、すぐに制作へ戻っていくのです。私は本当に版画が好きでやっているんだと言わんばかりに。
工房はGeelという駅から自転車で1時間余り、畑や農場が延々と続く先にあり、それはそれは美しい場所でした。
周辺には一日中のんびりと草を食べている馬さんが2頭いるだけなので、制作をするか、彼等と戯れるかという、贅沢な時を過ごせるので、あっという間に彼等と仲良くなり、呼ばずとも近寄ってくるようになった彼等と何度となくお話をしました。
制作中以外は、アントワープなどへも行き、人々や建物、その辺に落ちているゴミや虫に至るまで、作品のネタを探し、隅々まで観察をしてきました。
まだ一度も足を踏み入れてない場所に行くとなれば、冷静さを保ちつつも高揚していくのが分かります。こういう時の僕の飛耳長目はさらに抜群で、些細な事すらも余計に感じ取ってしまうのですが、距離をおいて見れば、きっと僕は人の体を借りた昆虫のような、とても奇妙な動きをしているに違いない。と思いながらも夢中で目をギラつかせていました。
楽しくて嬉しくて、身震いしつつ、美術館、博物館、教会等の作品にも釘付けとなりました。ふと我にかえった時には、もうフラフラなのですが、倒れても観てやる!と、気合いで観てきましたよ。
片隅にひっそりと飾られている作品、大きな展示室に厳重な警備、多くの客に囲まれた作品、どれも作家が命をかけて作りあげた物だと思うと、たとえ、今の自分に必要ないと思いつつも、通り過ぎるなんてできない。今、心に響いてこなくとも、自分がまだ遅れているんだと、好きな作品より遥かに多くの時間を費やしているんですよね。何故この作家は、この作品に全てをささげたのか?興味が尽きる事はないです。
そう、世界には素敵な作家がたくさんいて、生き残るのも僅か一握り。僕もその中の一人に入ると自信を持っているものの、まだまだ甘ちゃんやなー!と情けない気持ちやら、悔しい思いが込み上げてくるものです。
今回は特にそんな気持ちによくさせられました。しかし、それと同時に、自分はやっていけるなぁ!とも自然に思っていました。様々な美術館がある中で、いつかその場所に僕の作品が飾ってある風景が想像出来たからです。もちろん、そう簡単にいくわけがない事は重々承知ですが、気持ちは、さらに大きくなって帰ってきました。
たしかに大きな美術館、有名なギャラリーで飾られる事は凄い事ですが、飾られている作家は、ただ、自分のやるべき仕事をキッチリとこなしている。どんな作品であれ、恐ろしいくらい生真面目に。その思いが作品から伝わってくるのです。
負けられないだの、ビッグになりたいだの、作家をしている以上、貪欲に思うのは当然だけれど、自分の作品に対して嘘をついてしまったら終わりだと、また改めて感じました。
とにかく作品を制作し続け、それで、多くの人に喜びや幸せを与えられたらいい。欲張りかもしれないけど、多くを知って、作品をもっと深みのあるものにしたいと思ってます。今はただ勉強出来る事が心底幸せでなりません。
僕を支えてくれている全ての方に感謝します。 –そだきよし
ベルギー遠征 平岡昌也
はじめてのヨーロッパということもあって、すごく得るものが多かったです。
ベルギーに着いて驚いたのが、滞在させていただいた工房やその周辺の人達の気質です。慎ましく淡々とした生活の中にある美学的なものが、日本人とそれと似ている気がしました。常に霧状の雨が降り続く気候でもあり、制作に於ける環境としては自分の理想の土地のようでした。
印象的だった出来事があります。
Zeno X Gallery(アントワープ)で開催されていたリュック・タイマンス展を観た時のことです。朝からバタバタしてて、やっと珈琲を飲んで一息つけたような、ホッとする安心感を抱きました。ベルギーに着いてから、キャンバスに描かれた絵を観る機会が少なく、モヤモヤした気持ちが溜まっていたということに、後から気づきました。
アントワープの現代美術館に行き、様々な表現方法の作品をたくさん観る中で、絵画作品を見つけた時の感覚にも、同じようなことが言える気がしました。これらの体験と今後の美術の向かう状況、その流れの中にある自分自身の作品がおかれる状況と、制作における問題意識について、自覚的でありたいと強く思いました。
それから、ゲント市立現代美術館(S.M.A.K.)で、同じ匂いがする作品に出会いました。どこが似てるというわけでも無いのですが、勇気も貰う出会いでした。
途中から、急遽パリに移動しました。予定外のことで、せっかくだからという気持ちも沸き、勢いでたくさん観て回ったのが良かったのか、どの作品にも共通した普遍的な魅力と自分の作品の問題点が明確になった気がします。また、ピカソやミロ・ダリ達が活動し、ポロックの作品に大きな影響を与えたアトリエ17(現 アトリエ コントルポワン)にも行くことができました。そこのディレクターや作家の方達とも交流ができ、良かったです。うまく言葉になりませんが、今回のベルギー遠征で感じたことの多くが、今後の制作に結びつくようなことだったので、今すごく晴ればれとした気持ちです。 –平岡昌也
ベルギー・フランス感想帳 うのもとかずあき
ベルギーには日本からの直行便がないので、パリまで飛行機、パリからはタリスという国際列車でベルギーへ向いました。パリに着いて驚いたのは日の長さで、10時くらいが夕暮れ。夜の太陽になんだか調子が狂うようでもあり、得したような気分でもありました。EU圏内だからだろうと思うのですが、まったくパスポートの提示など求められることもなく列車で国境を越えて行くのが新鮮な感じでした。
アントワープでは、美しい庭を持つルーベンスの家や迷路のような建物のなかに一人彷徨っていると、さながらファンタジーの世界に迷い込いこんだような気分になる世界遺産プランタン=モレトゥス印刷博物館や大聖堂などを見て回りました。建物にも書物にも絵画にも彫刻にも膨大な時間が積もっていてクラクラさせられました。そして Zeno X Gallery でリュック・タイマンス(Luc Tuymans)展を見たのですが、Zeno X Gallery はスペースが2つあって、王立美術館の真ん前のギャラリーは小さなドローイング中心、もうひとつの場所に大きいペイントという展示になっていたのでトラムとタクシーで大移動してなんとか両方を見たのでした。独特な色調、抑制されたクールさのなかにも熱いものを感じる作品でした。
パリに戻ると、ものすごくいい天気で、ルーブルのピラミッドの周りで公園のように寛ぐ人々とカモ、ポンピドゥーセンターのチューブ状の通路の中は蒸し風呂のようになっていました。楽しみにしていたカルティエ財団美術館のデヴィッド・リンチ展では、リンチの執念というか変質に感銘を受けました。
ヨーロッパに行くと、なんとなく体が軽くなったような気がします。旅行だからということもあるでしょうが、人々の生活の仕方というか気の持ちようというか、なにかが違うのだろうと思います。そしてその感覚は日本に帰って来ても体のなかに残っていて、ふっとパリにいるようなアントワープにいるような気分になり、小さな世界から軽く飛んでいけそうな気がします。
今回もこのような体験をさせてくれたオーナーに、もう一度お礼を言いたいと思います。 -うのもとかずあき